noki’s diary

タルパと私のログ

タルパってなんだったっけ

こんにちは、ノキです。

これ読んでから読んでね。 

nokiio.hatenablog.com

 

 

 

私はタルパーを名乗っているのにタルパって何なのかよくわかってないのでまとめました。

いや、わかってるつもりなんだけどさ・・・。わかってるかどうかなんて本当のところ分からないじゃん。

 

もくじ

 

タルパとは何か

当然ここからだよね。調べてみました。

トゥルパ(チベット文字:སྤྲུལ་པ; ワイリー方式:sprul-pa)は、チベット語で一般に、変化身(応身)や化身(トゥルク)を指す言葉として用いられ[1]、サンスクリットの निर्मित 〔ニルミタ〕または निर्माण 〔ニルマーナ〕(すなわち化・変化・化現・化成・化作)に相当する。[2]つまり仏教本来の言葉では単に化身、化現、化作を意味する。化作は「魔術的顕現」「喚起されたもの」「幻像」などとも訳することができる。化作は修行の結果意識的にできるようになる。

それを特殊に誤解し純粋な霊的・精神的訓練のみによって作り出される存在ないし“もの”をあらわす言葉と捉え何か魔術やオカルト的な意味に誤解されている。以下、本項ではその誤解された意味を中心に記述する。

旅行家アレクサンドラ・ダヴィッド=ネール(英語版)の『チベットの神秘家と呪術師』 (Mystiques et magiciens du Tibet, 1929)[註 1]によると、トゥルパは「強力な凝念による魔術的形成物」である。トゥルパは「物質的形体として受け取られた、具現化した思念」であり、「思念形態」(thoughtform;思念体、想念形体とも)と同義とみなされるのが通例である[3]。この意味でのトゥルパは、日本では(慣習的英字表記の tulpa を英語風に読んで)タルパとも呼称される。

 

ウィキペディアより引用しましたが、当然のごとく大辞泉などには載っていないこのタルパという概念は、本来の意味から湾曲され広まり、通例では思念形態と同義になるとのこと。

 

トゥルパはチベット仏教ボン教における精神的修練と教えの一つと西洋人が誤解した。 それについて thoughtform (思念形態)という用語が使われた早期の事例は、ウォルター・エヴァンス=ヴェンツ(英語版)がチベット仏教ニンマ派の埋蔵教法の一部である「バルド・トェ・ドル・チェンモ」を翻訳した『チベット死者の書』(1927年)にある[註 2]。

 

引き続きウィキペディアから引用。

それでは、「思念形態」がどうも現代のタルパに近いようなので詳しく見ていきましょう。

 

思念形態とは

思念形態とは元素霊の体を持ち、思念を魂とする形状である。人工的精霊と称されることも多い。白魔術師あるいは黒魔術師によって作成される場合、たいへんな力を秘めている。

思念形態の生成には3つの一般原則がある。

1 思念の品質が色彩を決定する。
2 思念の性質が形状を決定する
3 思念の明確性が輪郭の明確性を決定する。

パリのバラデュック博士はアストロ・メンタル的画像を写真にとるという研究をしている。この画像は脳の灰色物質の振動がもたらすものと考えられている。

精神が生み出す不可視の波動は古今の聖人画の光輪などにも見られる。

バラデュック博士はある対象を強く念じ、その印象を感光板に残すという手法を用いる。故人となった女性の肖像を感光板に投射したこともある。思念や感情が外的に投射され、銀塩板上で物質化するべく化学変化を起こすとされる。

バラデュックが得た画像は精神映像の投影ではなく、エーテル物質が振動した結果であると思われる。

古文書保管室から アニー・ベザントが語る思念形態(要約)文書より引用。

原文と思われるものもありましたが英語が読めませんので参考までに・・・

Theosophy : Thought-forms by Annie Besant and C.W. Leadbeater : :

アニー・ベザントは神智学協会の2代目会長だった女性で、主張内容も神智学協会の神智学に沿ったものになると思われます。神智学協会の神智学は日本でいう精神世界やスピリチュアルに強い影響を与えたと考えられているようです。

 

元素霊とは

四大精霊(しだいせいれい)は、地・水・風・火の四大元素の中に住まう目に見えない自然の生きもの[1]、あるいは四大元素のそれぞれを司る四種の霊である[2]。四大の精、元素霊(英語: elemental spirits、ドイツ語: Elementargeister)、エレメンタル(英語: elementals)ともいう。エーテルのみで構成された身体を有する擬人的な自然霊で、パラケルススの論じるところでは、霊でも人間でもなく、そのどちらにも似た生きた存在である[1]。パラケルススはこうした存在をドイツ語で ding(もの)と呼んだ[3]。

ウィキペディアより引用。

 

思念と凝念とは

し‐ねん【思念】

[名](スル)思い考えること。常に心に深く思っていること。「今後の身の振り方を思念する」

ぎょう‐ねん【凝念】

思いをこらすこと。また、その思い。

デジタル大辞泉より。

 

いよいよとっ散らかって来ましたが、以上の情報を複合すると以下のようになると思われます。

 

「タルパは強力な思いによる魔術的形成物であり、物質的形体として受け取られた、具現化した思いである。思念形態と同義として扱われ、エーテルのみで構成された身体を持ち、思いを魂とする形状である。魂の品質、性質、明確性により色彩、形状、輪郭の明確性が決定する。」

 

うーん・・・私の思っているタルパと違う定義ができあがりました。

ということは、前提条件や参考文献の正否など、何かが間違っていると思われます。

 

実は「何が」タルパなのかはどうでもいい

トゥルパ≠タルパ、タルパ≒思念形態であっているとしても、あってなかったとしても、そもそも私たちの作っているタルパは現代日本のタルパなので本来のタルパと呼ばれているモノがなんであれどうでもいいのでは?ってことにお気づきになりましたか。

 

タルパとは - タルパを本気で作ろうと思っている まとめ - アットウィキ

 

現状のタルパと思念形態にもし関連があったとしても、思念形態の引用文であるアニーベザント女史が神智学協会の神智学を背景に引用元の著書を書いたとしているのなら、時代の変化によって当時と現在では思念形態もタルパも中身は同じでは無い可能性が高いと思います。

 

チベット仏教のトゥルパを語源としておきながら、魔術としてのタルパが誤解から生じ、トゥルパとは全くの別モノであるのなら。思念形態と呼ばれているモノと現代のタルパが違うものならば、皆が今熱心に作っているタルパとは一体何なのか、定義はどうやって決まったのでしょうか。

 

おそらく大多数の人が主張する「本来のタルパ」は、この文書ではないでしょうか。

タルパの作り方 - タルパを本気で作ろうと思っている まとめ - アットウィキ

 

タルパの定義で揺れている今、実は本来のタルパですらこうやってみると2007年の掲示板の書き込みが起源であり、この書き込みの内容すら何を参考に、誰の言葉を元に、どのような前例をもってして提案しているものなのか全く不明なわけです。

ファウスト博士の〜だとか一応引用文献はあったように記憶してますが誰か補足してくれ

 

発案者が「嘘を流してどこまで実現するか試してみようw」と思って書き込んでいたらまだマシな方で、実は発案者が統合失調症患者で、その経験を元に書き込んだ可能性も否定できないことになってしまうのですよ・・・なんてこった。

 

邂逅型や生誕型を排除したい層からしてみたら発狂物なのではと思います。

 

しかし原義がないと言うことは、数学でいうと「なんで1+1=2なの?」って言っているようなものです。なので全員の意見は一致させておいた方が良いはずです。そして、たまたまその統一の矛先が「本来のタルパ」という語と概念にすぎなかったのだと思います。

しかしながら、私はこの状態を「宗教の信仰心に近い」とぶっちゃけ思ってます。原点とか本来の姿とかどうでもいいし、こうやって蓋を開けてみたらそれほど誇れる歴史もないわけだし。

嫉妬や劣等感や過去にマウントされた恨みからわがまま言っても現状は変わらないので、なるべく現実的な対処法を優先して議論をした方が建設的だと思います。

もちろん本来のタルパを目指して訓練はしたいですし、この「本来のタルパ」という概念自体には肯定的です。

他人を見下したり、虚栄心を満たすために盲信するなら価値はないという意向です。

 

議題の目的を再確認しよう

そもそも、この考察ページの議題であった発生型提案者は

「各自のスムーズなタルパ訓練、情報交換を促進することが本案件の目的」

と述べた上で、訓練を必要とする層と訓練が不要な層でトラブルが起こっていると言っています。

 

つまり、0からタルパを創っている人と、最初からオート化している層が判別できる区分を取り入れる事ができれば何でもいいのです。

 

そして、考察ページの議論のなかで現在の3型(創造型、邂逅型、生誕型)は見直すことが前提で話が進んでいるので、取っ付きやすさから考えればこの3型をベースに最初からオート化していたかどうかの分岐を作るのでもいいですし、思い切って発生型を取り入れるのでも良いのではないでしょうか。もしくはゼロから作るか、最初からオート化していたかの2種類してもいいと思います。

 

現在の考察ページの議論は、論点がずれています。

目的が違っています。

現在の方針では副次的に本件目的は達成されますが、最適解とは言いがたいと私は思います。

 

思念体と言う風潮が一般化したとして、その後の分類が確実になされるという保証もありません。入れ替わりの激しいこの界隈で、この方針を打ち出した大部分の人が匙を投げて消えていく可能性だってあります。思念体一般化案は訓練法やコミュニケーションの促進を促すのではなく、訓練法を衰退させコミュニケーションしか残らない界隈を作り出してしまうと私は思います。

 

それに、あの人の思うタルパはこういう条件で、別のあの人の思うタルパはこの条件で・・・という作業を繰り返し、適当にサンプルが取れたところで共通点を拾い上げ、それを正式なタルパの定義とするのでしょうか。

それとも「本来のタルパ」の認識を擦り合わせて厳格に定義し、それ以外を思念体とするんでしょうか。

どちらにせよ、まだ議論は未来に丸投げしていて論じる段階ではないし、従って現段階では追い出すような意図はないと言いつつも、この「思念体一般化案」は排他的意見派の選民思想が拭いきれないと感じます。

 

そして完遂されるかもわからない再定義を前提に、あれだけ広がって欲しくないというタルパの定義を思念体全体まで拡大しようとしている。

 

これが自由主義パラドックスなんでしょうか・・・。

私は普段からカンリちゃんに結構べったりなタイプですけど、そういった感情をできる限り薄めてみても考察ページの冥府さんの発言の意図をもっと掘り下げるべきではないかと思いますよ・・・。

 

おわり